悪口に傷ついている?判断しない日を作ってみよう
アメリカの大統領選挙、どうなるんでしょうね?
しかし、ドナルド・トランプさん、濃ゆいよね~。
さて、みなさんがもし、
「おまえはっ、大統領候補として力不足だっ!1000%アメリカ大統領候補にふさわしくないっ!」
と、突然ファルコン上官みたいな人が走ってきてダメだしされたとして、「私はダメな奴なんだああ!!」「あいつが私はアメリカ大統領にふさわしくないといった。憎い!」と、傷つきますか?
↑ファルコン、この人
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たぶん、「お前は1000%大統領の器ではないっ!」と言われても、傷ついたりしないのではないでしょうか。
だって、自分、大統領になりたいなんて1000%思っていないから。
自分が言われたことに対して何とも思っていないなら、そのことは全く心に刺さらないんですよ。
だから傷つかない。
「はぁ、全くそうですね。私、アメリカ大統領にふさわしくないです。」
はい、会話終わり、となってしまいます。
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悪口に傷ついているとしたら、それは自分がそれを認めているから
人に何かを言われて、そのことにとても傷ついているのだとしたら、あなたはその人の意見を認めているから傷つくんです。
他人が悪口を言ってあなたを傷つけたのではなくて、実はあなた自身が人の発言の中に自分の思っていることを見つけたから傷つくんですよ。
起こっている物事は実はみんな中立なのです。
その現象に意味づけをしているのはいつでも私たち自身、なのですよ。
例えば、お庭で薔薇を育てているとします。
誰かが通りかかって「きれいな薔薇ですね」と言いました。
ある人は、ごく素直に「まあ、ありがとうございます」という。
またある人は、「なんで知らない人に声をかけるのだろう。怪しい。もしかして、空き巣の確認かも!?」
なんて思ったりします。判断は人それぞれ。本当に千差万別です。
別の例えです。
バーバラは、人の恋バナが本当に大好きで、どんなに彼が素敵で優しいのか、なんて聞くと本当にうれしくなるのですが、のろけ話が大嫌いな人も存在します。
さんざんのろけた同僚が去っていった後、別の同僚が「さんざんのろけやがって。あいつ、いつかぶっころす!」と言って、びっくりして飛び上がったことがあります。
同じことをその人が言っても、聞いた人の解釈ひとつで、全然意味合いが違ってきてしまうのです。
いわば、それぞれの人の口から、あなたは自分の意見の確認をしているということなのです。
のろけの嫌いな人は、「恋とはつつましやかにするもの」「人に自慢をすることは、何よりもいけないことだ」という価値観があるので、それに反することをする人には、めらめらと怒りがわいてくるのですね。
逆にバーバラは、本人がいないところで人の悪口を言ったり嫌な噂話をするのがどうにも苦手です。
まあ、人間関係の円滑油としてそういう物が多少必要なことは頭では理解しています。
「何かと悪者扱いされる血中コレステロールも、全くないと逆に血管が弱くなっちゃうんだよ」
って教えてくれた友人がいて、なるほどなー、とは思うんですが、苦手なんですよ。
これは、自分が「悪口や噂話はいけない」という価値観を持って判断いるから、そういう話をする人に嫌な気持ちを持つんですね。
「あの人、なんでそんな嫌な話をするんだろう」
と憤るバーバラの横で、やっぱり驚きで飛び上がった友人がいます。
「何でそんなちっさなことで怒るの!?」って。
その友人には、そのことが全く刺さらないんですね。
まるで、バーバラにのろけが全く刺さらないのと同じように。
毎日毎日こうやって、人々は起こる現象が「良いこと」なのか「悪いこと」なのかを判断して、悪口を言われた! 傷ついた! なんて運が悪いんだ、なんて落ち込んだり、褒められた、嬉しい!ラッキー♪ 、なんてって言っているんです。
「んなことねーだろ! 悪口は、明らかに悪口だろっ!」ってあなたは思うことでも、言った本人は案外逆に褒め言葉で言っていたりするかもですよ。
例えばですね。
太目なバーバラにとっては「やせてるね」っていう言葉は何よりも褒め言葉です。
「最近ちょっと痩せたんじゃない?」なんて言われたら、リップサービスだと思っていても上機嫌になってしまいます。
で、昔若いころ、とても折れそうにスレンダーな女性に、「やせてるね」っていったんですよ。
はい、傷つける意図なく、最大の褒め言葉として。
でもね、その方、ひどい悪口を言われたと思って、とても傷ついてしまいました。
「自分がどんなに太りたいのかあなたには私の気持ちなんてわからないわよっ!」って。
相手が言ったことは、本当はあなたが発信した意図とは別の意味で受け取られているかもしれませんし、またその逆もしかり。相手が言ったことは、本当は悪口以外の意味あいでいったのかもしれません。
英語でいうとバイスバーサ、(vice versa、その逆もまたしかり)、ですわよ。
判断しない日を作ってみよう
スピリチュアル的な魂の成長への過程として、また開運への鍵として、多くのスピリチュアリストが勧めているものに、
「何も判断しない日をつくろう」
というものがあります。
起こっている物事は中立です。
ですので、あえてそこに意味づけをすることを1日だけやめてみるのです。
やってみるとわかりますが、これ、難しいですよ~。
もう自動的に自分の価値判断に従って、物事の現象を良い、悪いに分類しちゃってる。
TVで「悲惨な殺人事件が起こりました」
「ひどいことだっ!」(悪いことに分類)
くじがあたった。
「ラッキー」(良いことに分類)
「片思いのあの人と沢山喋れた」(良いことに分類)
「早く仕事に戻れといったくそ課長め!(笑)」(悪いことに分類)(笑)
と、もう、めまぐるしく起こる現象を判断している自分がいます。
それをね、一時棚に上げて、良い悪いの判断をしないでみてください。
自分が植物かなんかになったように、何も判断しないで、ただただ起こる現象を現象としてみてみるんです。
課長の怒鳴り声も、同僚のちくりとした嫌味も、犬に吠えられたことも、ただただ自分の上を通り過ぎていく現象としてとらえてみる。
一度、すべてを判断せずに、天に預けて波立つ心を静まらせてみてください。
これをやる日は、できれば、携帯やコンピューター、TVなんかもオフにして、のんびりとしてください。
普段忙しい生活の奥底に押し込めている、本当の自分の声や天からのメッセージはとても小さいボリュームです。
目まぐるしい判断で心を波立たせていると、なかなか気づかないことが多いのです。
ですので、たまには何も判断しない日を作ってみてください。
屋久島に生えている千年も生きている杉の木みたいに、ただゆったりと世界を感じてみてください。
自分自身、物事にすぐに腹を立てたりしがちな自分へのメッセージとして、本日の記事を書いてみました。
「悪口に傷ついている?判断しない日を作ってみよう」というお話しでした。
過去記事です。
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