60種類もお守りがある神田明神。首塚と成田山とラブライブの話など
江戸っ子だってね? 神田の生まれよ!
本日のお話は、60種類もお守りがある神田明神。首塚と成田山とラブライブの話などです。
ちゃきちゃきのお江戸の神社、神田明神のお話は、どこから語っていいかわからなくなるほど盛沢山!
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神田明神の基本情報
アクセス
神田明神は、正式名称、神田神社。
〒101-0021 東京都千代田区外神田2-16-2にある神社です。
HP: www.kandamyoujin.or.jp/ (外部リンク)
御茶ノ水を降りて、北側の聖橋を渡り、10分ほど道なりにまっすぐ歩いていきます。
お濠を渡って
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神田明神のご祭神
一の宮: 大己貴命(おおなむちのみこと(大黒様))
二の宮:少彦名命(すくなひこなのみこと)
三の宮: 平将門命(たいらのまさかどのみこと)
うぁお、平将門命!?
例の都市伝説について
大黒様と少彦名命様は、ともに力を合わせて日本の生活の基礎を築いたといわれる神様です。
そして、平将門さんは、悪政に苦しむ関東の庶民たちを救うために戦った、関東の英雄です。
法律なんて完備されていなかった当時ですもの。
京都の朝廷にご無体なことをされて、それはそれは苦しんでいた庶民のために戦った将門さんは、関東人からすれば、ヒーローなのですよ。
戦いにおいて、最初は風上に立って有利に戦っていた関東軍。風上なんで、矢を放てば、朝廷軍に矢は刺さりまくり。大勝利目前、ってところで、なぜか急に風向きがかわります。
これはいかん!と、体制を立て直そうとしていた矢先、将門公の目に敵の矢がささり、関東軍は平定されてしまったのです。
平定後、将門さんのバラバラ死体は、京都で3日首をさらされてから飛び上がり、関東まで飛んで帰ってきて、各地にバラバラに落ちたといわれています。
頭が落下した場所は、東京都千代田区大手町1-2-1号外。 三井物産本社ビルわきには、有名な将門の首塚があります。
ここで不敬な行動があればすごい祟りに見舞われる、今も大手町のオフィスでは、将門公にお尻をむけずに座っている等のお話はひきもきらないのですが、今回は神田明神なので、首塚についてはここまで。興味がある方は、Wikiってみてね♪
将門さんの体のパーツは、首塚が最もポピュラーなのですが、他にも脚塚や、手塚などが各地に祭られているのです。
そして、体塚にあたるのが、ここ、神田明神といわれています。一説によると、神田は、からだのなまったものなのだとか。
神田神社は神田明神と呼ばれていますが、もともとこの「明神」と呼ばれているものは、祟り鎮めの意味合いがあるのだとか。
最初将門公は勝っていたのに、なぜか急に風向きが不利な方向へと変わった。
公の教科書などには載っていませんが、ひっそりと、それは、密教の呪詛によるものとささやかれています。
その呪詛をしたのは、成田山関連とのうわさが…。
「くっそ~、成田不動尊が余計な呪詛しなければ、戦いはうまくいっていたのにっっ!!」
(by T. Masakado)
このように遺恨を後世に残した両者。
成田山と神田明神、どちらか一方を信仰したら、もう一方にはかかわらないほうが無難、そうじゃないと…、なんていう都市伝説もあるみたいですよ。(本当に、ただの都市伝説ならよいのですが)。
さらに。
平将門公を平定したのは、藤原英郷(ふじわらのひでさと)。
ですので、佐藤さんなど、藤原さんの遠いご親戚筋が神田明神へお参りすると、何かがおこる!?なんていこともひそひそとささやかれています。
(^x^;) あ、あくまでも、都市伝説ですよね…?
雄々しく関東を守ろうとした平将門公の影響か、この神社は、地方の大きな神社のように広い敷地はないのですが、雄々しい力強さを感じます。
神田明神様、全国の藤原さんや佐藤さんはお好きですか?
60種類ものお守りがある神田明神
時は1600年。
天下分け目の関ヶ原の合戦に際して、徳川家康公は、神田明神のお守りを「勝ち守り」とし、勝利を得ました。
そのことから、神田明神のお守りは、縁起がよい。勝負事に強い、と、沢山の人に愛されています。
その種類、60種類以上。
とても変わったお守りが沢山あるんですよ。
例えば、これは、運がつく、「ん」のまもり。
ん!って踏ん張れそうです。かわゆす。
こちらは、パソコンやスマホにはる、IT系のお守りです。
シールになっています。
ウィルスが入り込みませんように。
ね、ユニークでしょう?
きっとあなたがぴん!ときて、見るたびに嬉しくなっちゃうお守りがみつかるはずです。
アニメとのコラボがすごい!
最近の方は、神田明神といえば、アニメとのコラボがまず思い浮かぶかもしれません。
ラブライブや、ご注文はうさぎですか?など、いろいろなアニメに、神田明神がでてくるんですよ。
アニメ好きな方がこの神社をみたら、きゅん!ってなってしまうかもしれません。
ラブライブの絵馬。にっこにこにー♪
音ノ木坂学院の皆さんが練習した階段。さあ、あなたも駆け上がってみよう!
海外からのコスプレした方々もお見かけしましたよ。
各絵馬の画力、はんぱないっす。ホントに絵馬なの?
境内ののぼりもこんな感じ
江戸の総鎮守のお祭り
神田神社は、もともと天平2年(730)年に創建されたといわれています。
約1300年の歴史を持つ、江戸東京で最も古い神社の一つです。
はじめは千代田区大手町の将門の塚あたりにあったそうですが、慶長8年(1603年)に、江戸幕府開かれた際、徳川家康公が現在の場所に移したそうなんです。
ここ、江戸城からみて表鬼門。
江戸城は風水的にがっつり作られているのですが、この神田明神も、がっつりその一部として組み込まれている感じです。
呪術関係と神田明神と江戸城。いろいろと興味深いです。
江戸開設の頃より、「江戸総鎮守」として上は幕府のお偉いさんから、庶民まで、崇敬を受け続けた、神社なのです。
明治時代に時を移したあとも、東京府社として、皇居、東京の守護神としてあがめられました。
秋葉の守り神
江戸全体の守護社ですが、特に、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内の氏神様です。
うん、秋葉原の守護社なら、アニメとのコラボも納得だわ。
江戸三大祭: 神田祭
ここは、江戸三大祭のひとつである神田祭がひらかれる場所でもあります。
古来より、広く江戸の崇敬をうけた神田明神のお祭りは、天下祭とも呼ばれています。
神田や日本橋を中心とするご町内より、壮大な規模でおみこし、山車、引き物、仮装行列などが連なります。
昔は、江戸城内にもおみこしがはいり、徳川の将軍が上覧した由緒あるお祭りだったそうです。
今日の神田祭は、2年に一度、大規模な大祭礼行列が町を埋め尽くします。
西暦の奇数年が大祭。偶数年が、陰祭となります。
神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内の広大な範囲の氏子108町会のおみこしが一斉に神田明神をめざします。
実は、バーバラは、この大祭で神田からおみこしを担いでいったことがあるんです。
友人が神田っ子なもので、そのご縁でした。
朝早く、法被と地下足袋でご町内に集合いたします。
皆さん、これぞ、江戸っ子という粋なお姿。
軽くおにぎりなどを食べ、みんなが集まるのを待ちます。
「はい、担ぎま~す」
の、声とともに、肩にずし~~ん!と乗る、パッドとか何もついていないガチの木材。
思わず、息がとまります。
やばい! ただ事じゃなく重いよっ!
神田明神の規模、はんぱないよっ!!
5月の快晴。予想外の暑さの中、汗が吹き出します。
ぐあああ~!!
沿道は信じられないくらいの人の波。
そこを、ゆっくり、ゆっくりと、練り歩いていきます。
神田明神までの遠かったこと!!!
フラッシュをばしばし浴びます。
とても全部の道のりを担いではいけない重さなので、まわりの交代要員と代わりながら進んでいきます。
バーバラは、すぐにねをあげたのですが、さすが、神田っ子の友人はへこたれません。
ほとんどの距離を担ぎ続けました。う~リスペクト!
ときに、
「お姐さんはどこの町内からなの?」
なんて沿道の観客から質問も受けましたが、うん、ごめん、よそもんだから、何町だかわからなかくておたおたしていたら、すかさず友人がちゃきちゃきと応対。 江戸っこだねぇ。 神田の生まれよ!!
大変ゆっくりしたペースで進むので、おみこしが神田明神にたどりついたのは、もうお昼時。
そこについたからって、すぐに境内に進めるわけではありません。
なにせ、108町内から、それぞれ複数のおみこしが出てるんですもの。
神社の裏手は、みこし渋滞!
一つずつ境内に入り、神田明神にご挨拶するのを、ひたすら待つのです。
も~~、この頃になると、脱水症状と熱中症のためか、意識がもうろうとしてきて、めまいがしてきました。
↑大変なことになっている境内。この裏手のみこし渋滞のどこかに、瀕死のバーバラがいる。
瀕死なのですが、休むところもなく、瀕死のまま、順番がきて、写真のような大渋滞の中でおみこしの肩の痛みに耐えながら、全身をどつきまわされます。
そこで終わりじゃない!
またまたおみこしを担いで、神田までひたすら帰るのです。
これはね、ハードよ。 もんのすげ~、ハードよ。
夕方、神田に帰り着いたときには、もう、精も根も尽き果てるような状態でした。
そんなバーバラをねぎらいつつにこにこしている神田っ子。あんたたちすごいよっっ!!
翌日、肩全部が紫色のあざになっていました。
いや~、いい経験でした。
最近は、担ぎ手も老年代化が進んでいるので、神田生まれでなくても、いろいろなところから、すけっとも受け入れているみたいです。
ご興味がある方は、調べてみてくださいね。
でも、ほんとに、ハードだけどね。
以上、60種類もお守りがある神田明神。首塚と成田山とラブライブの話などというお話でした。
願わくば、平将門公の遺恨はすっかり消えて、のんびりとアニメを楽しまれていますように。
こんな開運スポットも:
木曜日の夜9時半に恋の神様が下りてくる。タイのトリムルティの祠
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神田明神の建物の写真を見て「あ、八幡宮と同じ空気だ~」と思いました。どちらも武士の味方ですもんね。
で、お神輿を担いでお祭りに参加されたのは、何歳頃のことなのでしょう?まさか「ついこないだ。」とかだったら、恐れ入谷の鬼子母神なんですが。
も~、読んでるだけでグッタリしましたよ…。
てぃ様
はい、似ているかもしれません。
おみこしは、数年前といったところでしょうか。
うん、あれは1回でいいや。
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