高麗神社:悲運に涙した異国の王は日本で出世の神様となった

本日のお話は、高麗神社:悲運に涙した異国の王は日本で出世の神様となったというお話です。

この記事は読者M様に勝手に捧げます。

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日本でも有数の出世の神様、高麗神社(こまじんじゃ)

埼玉県日高市の、のどかな田園風景の中にある高麗神社(こまじんじゃ)は、知る人ぞ知る、日本でも有数の出世の神様です。

日本の大会社の社長さんや政治家の先生方も参拝をされている方が多く、ななんと、その中から6人も総理大臣になっているんですよ。(若槻礼次郎、浜口雄幸、斎藤實、平沼騏一郎、小磯国昭、鳩山一郎各氏)

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出世がしたい方、世の中に出たい方は、ぜひ1度参拝をなさってみてください。

出世の神様らしく、お賽銭箱の横には名刺入れが置かれていて、平日にもかかわらずスーツを着たお仕事関連の方々もちらほら参拝にみられています。

当日は正式参拝をさせていただいたのですが、何社か会社の従業員ごと、参拝にいらっしゃっていました。

高麗神社はJR駅高麗川駅から徒歩20分ほど。近くの聖天院と、満開時には大地が燃えるような一面のヒガンバナが美しい巾着田と合わせて、1日ハイキングコースの一環として参拝するのがおすすめです。

 

ここの出世のご利益はかなりゴツく、実はバーバラの父親もかなりの恩恵をいただきました。

ここに参拝した直後、某アメリカ大企業の重要な仕事が決まりました。

「いくらでも好きな給料を提示せよ」

とのことで、思い切って今までの倍額を提示したところ、先方の顔色が変わりました。

「いくらなんでも、吹っ掛けすぎか?」

と思って青くなっていたら、さらにその倍額以上の額を提示されました。提示額が低すぎて先方の顔色が変わっていたみたいです。

参拝すると大きな仕事がやってくるが、それをこなす技量が試される

ただ、この神社、まっとうな仕事運を授けてくださりますので、濡れ手に粟でお金だけごろごろ入ってくるような所とは違うんですね。

ここに参拝なさると、たぶん、自分の技量を試されるような大きな仕事がやってくると思います。

会社の重役や社長、大臣というような重い責務を背負うチャンスに恵まれたとき、あなたはそれを背負う技量と覚悟はあるのでしょうか?

(急なチャンスがやってきたときの記事。良かったら読んでみてください

急に願が叶うとき、受け取る準備はできているかと傭兵は語った )

 

お休みなんてなくなってしまい、不眠不休で責務を果たさなければならなくなるかもしれません。

みんなが一斉にあなたの意見を聞いてきて、頑張っているのに不当に責められるかもしれません。

一歩間違えば多くの人を路頭に迷わすような大きな責任に全身冷や汗をかき、夜中に飛び起きるようなことがあるかもしれません。

 

そんな生活に耐えられますか?

そこまでして叶えたい大きな仕事の夢はありますか?

 

大きなチャンスをいただける神社ですが、それだけに、大きな試練を受けられる技量を身につけ、覚悟してからお参りしてください。

 

かくゆううちの父親のケースでは、慣れない大きな仕事に頭を抱えまくり、連日仕事を持ち帰り深夜までひぃひぃ言う生活になりました。給料上がっても、使う暇なし。 う~む、人生甘くないですね。そのプロジェクトにかかわったことで、内外の省庁を巻き込んで何百億を扱うような大きな仕事ができ、成長はできたようですが、その苦労たるや、大変だったようです。

 

バーバラも正式参拝後に仕事の依頼が急増し、おかげ様で息つく暇もないほどです。

「あ~、そうでした。ここはそういう神社よね」

と、ひぃひぃと頑張っております。不思議な所なんですよ。甘くはないです。

 

今までこつこつと技量を磨いてきて、責任ある仕事をやる覚悟と度胸がある方には、きっと大きなお力を貸してくださる神社だと思います。

境内はマンサクの花盛りでした。春がやってきましたね。

 

高麗神社:悲運に涙した異国の王は日本で出世の神様となった

実はここ、高句麗とのご縁の深い、異国に源を持つ、ちょっと変わった神社なのです。

異国のトーテンポール、どーん!

由来をお話するには、高句麗についてのお話から始めなければなりません。

 

昔から文化的交流が深かった高句麗

紀元前一世紀頃、王国が誕生した高句麗。四世紀後半には朝鮮半島北部から中国東北部にわたり領地を広げ発展しました。

古代日本との文化交流も盛んで、奈良県明日香村の高松塚やキトラ古墳への影響も指摘されています。聖徳太子の仏教の師であった慧慈(えじ)や、絵具、墨、紙を日本に伝えた僧、曇徴(どんちょう)をはじめ多くの人が高句麗から渡来し、文化を伝えました。

 

豊かな高句麗は何度も強敵に攻められています。

隋の三度にわたる遠征。唐も三度にわたり高句麗遠征を試みましたが、いずれも高句麗の固い守りに阻まれます。

やがて隣国百済(くだら)が唐と新羅(しらぎ)連合軍によって滅ぼされた翌年、661年にも唐は高句麗を襲いますが高句麗は国を守り抜くんです。

 

ついに高句麗陥落。兄弟は仲良くしなくちゃ…

そんな鉄壁の守りを持つ高句麗だったのですが、665年、泉蓋蘇文(せんがいそぶん)が死去すると、後継を巡り三人の王子、男生(だんせい)、男建(だんけん)、男産(だんさん)が国を巻き込んだ権力闘争を起こします。

その隙をついに唐につかれてしまうのですよ。兄弟は仲良くしなければいけませんね(涙)。

国家存亡の危機のこの年、5月と10月に大和朝廷に高句麗から外交使節が派遣されたことを日本書紀はしるしています。

10月に来日した使節の中に、後の高句麗王「若光(じゃくこう)」がいました。

 

「高句麗を助けてください!」

 

必死の願いも届かぬまま、667年に唐と新羅連合軍は再び高句麗を攻め、翌年668年についに高句麗は陥落、その歴史を閉じました。

 

必死の思いで異国の地日本までたどり着いて政治的努力をするもかなわず、なすすべもなく国が滅んでいくのを見るしかなかった若光。その無念やいかばかりだったことでしょうか。

 

高句麗の滅亡に前後して、多くの高句麗人が海を越えて来日しました。当時、新しい律令国家への道を模索していた日本にとって、彼ら渡来人の技術は貴重な存在で、多くの進んだ技術や思想が取り入れられました。

高句麗王若光は朝廷から従五位下の位が与えられ、大宝三年(703年)には、王(こきし)という姓(かばね)をいただき、大和朝廷の官人として仕えたそうです。

 

渡来から半世紀を経た霊亀2年(716年。奈良時代やね)、東国に散らばっていた高句麗人1799名が、ここ埼玉県に移り住み、高句麗郡が生まれたと続日本記は伝えています。

若光はここで高麗人達をよくまとめ、この地を開発し、この地で没しました。晩年は白髭をたれていたので、白髭様と呼ばれ親しみ尊ばれていたのだそうですよ。

この若光をお祭りしたのが、高麗神社なのですね。

国家を救えなかった無念からなのか、それともこの地を豊かな地へと開拓していったお力からなのか、ここは「出世明神」としての霊験あらたかで、古来より崇敬を集めています。

高麗家が大切に保存されています。前面のしだれ桜が満開の頃はそれは見事な眺めに。

 

 

境内にはこんな像も。う~ん、異国っぽいぜ。

 

正式参拝で気をつけたいこと

出世を求める方々はぜひ正式参拝をしてみてください。

特に予約はいりません。午前8時半から17時の間にお越しください。

社務所で申し込み用紙に記入をして受付を済ませてください。

なお、10月19日は例大祭ですので、祈願は13時より。正月期間中も受付が変則的となりますから、事前にお電話でご確認を。

 

お納めする金額はお気持ちで。ごくり(汗)

普通、神社では、正式参拝にはこの金額をお納めくださいと書いてありますが、ここは、フリーです。

「お気持ちでお納めください」

と、実におおらか。

これって、逆に試されると思いませんか!?

 

大きな出世運をつかむには、い、いくらを入れるべきか?(ごくり)

お気持ちでといっても、500円とかは失礼ですから、相場位は包みましょうね。

なお、一万円札しかない場合、両替もしてくださるので、お気軽にお申し出ください。

 

いただけるお札は正式参拝あるあるで、かなり大きなものとなりますので、神棚が小さい方は、あらかじめ小さなお札にしていただけないか聞いてみましょう。

お札と共にいただける神社のお供物は大抵、お酒と昆布とかですが、ここでは、干支のかわいらしいネズミのついた木製のしゃもじをいただきました。年の初めだけかもしれませんが。参拝のあと社務所で授与してもらおうと思っていたので、ダブらなくてラッキーでした。

 

玉串の奉納があるから、落ち着いてね

正式参拝では、玉串の奉納もできます。

最近では省略されていることも多いので嬉しいですね。

玉串は神主さんから受け取ったら、右回りに回転して根本の方がご神前に向くようにして備えてくださいね。 ちょっとドキドキする瞬間です。

 

ここのご祭神の両脇には弓矢を持った武神が控えています。

実に出世の神様っぽい感じです。

 

お札を包むのに風呂敷を推奨しています

この神社では、お札を包むものとして風呂敷を推奨しています。

壁にも「風呂敷で包んでください」というポスターが貼られていますし、参拝後にお札といただけるパンフレットにもしっかりと、「お札は風呂敷に包んでください。参拝するときは風呂敷を持ってきてください」と、強力風呂敷推しをしていますので、ぜひ風呂敷を持参してみてください。

 

そのままビニール袋にいれてリュックにぽい、とかはしてほしくないみたいです。

大切に風呂敷に包んで、手に抱えて持ち帰っていただきたいのですって。

 

お守り類も異国っぽいかっこいいものが沢山。当然ながら、出世のお守り類の種類は多いです。

 

代々ここの宮司を努める若光さんの子孫の高麗家。

朝鮮半島っぽいしゅっとしたお顔立ちを想像していたら、現宮司の高麗文康さんはイケ面ながらかなりバタ臭いお顔立ちで意外でした(失礼!)。

そりゃあ1300年もたっているんですものね。

 

月次祭は毎月15日 午前8時より

毎月15日、午前8時より月次祭(つきなみさい)が行われています。約20分です。

お近くの方は参加なさってみてください。

参加なさる場合は、7時50分までに参集殿二階の祈願受付所までお越しください。

太鼓をうちならし、お祓いしたあと、全員で大祓詞を奏上します。

 

その後は宮司のお話をきいたり、清掃奉仕を行うので、お時間の都合の合う方はこちらもどうぞ。

 

高麗神社データ

高麗神社

〒350-1243 埼玉県日高市大字新堀833番地

TEL: 042-989-1403

FAX: 042-985-2794

HP: http://www.komajinja.or.jp/

最寄り駅: 西武秩父線高麗駅から徒歩40分程(バーバラだと1時間弱。タクシー呼べます)

JR川越線・八高線高麗川駅から徒歩20分(バーバラだと30分以上。足遅めな非体育系の基準)

最寄りインターチェンジ: 圏央道、埼玉日高IC、関越道、鶴ヶ島IC

駐車場は数十台分はあるけれど、お祭りがあるときは終日満車になります。近くの田んぼをぎっしりと車が埋め尽くしにっちもさっちもいかなくなるので、電車で来られたし。

 

この付近の巾着田が、スーパーおすすめですので、1日ハイキングとして一緒に組み込んで楽しんでみてください。 川が巾着みたいにまぁるくなっているので、流れるプールみたいにほぼ1周川を流れてもといた付近にもどってこれるんですよ。地面が一面燃えるような100万本のヒガンバナの群生はもちろんのこと、春の梅見、夏の川遊びも最高です。

 

 

いかがでしたか?

本日は、高麗神社:悲運に涙した異国の王は日本で出世の神様となったというお話でした。

なお、2020年は3月8日まで、上野の東京国立博物館で「出雲と大和」という特別展が開催されています。これは日本書紀の成立から1300年を記念した企画展です。

これを機会に歴史に思いをはせてみるのもよさそうですね。

(この企画展は新型コロナウィルス防止策のため、2月28日で終了いたしました。残念!)

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